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東京スカイツリーが立っている場所は、業平橋といいます。
この業平橋には昭和の初め、とある貧乏家族が住んでいました。
その名も古今亭志ん生。
のちに落語会を代表する名落語家です。
志ん生が生きていたら寄席に通っただろうな、とつくづく思います。
古今亭志ん生、その人は落語の一時代を築いた紛れもない名落語家です。
話のうまさもさることながら、観客は彼の人柄があらわになった瞬間を大いに笑う。酒に酔って高座にあがればその回らない呂律に笑い、主人公の名前を忘れ「・・・・どうでもいいな名前」などと言おうものならまた大笑い。客は、落語そのものよりも「今日の志ん生」を楽しみに来ていたといいますからどれだけの芸人だったか・・・・。
何をしても許される落語だったんですね。
ライバルであり盟友の文楽は口座で登場人物の名前が出てこず、「勉強して参ります」とだけ言って二度と高座に上がることはなかったというから、その眞反対の生き方でした。
ただ、話の筋が途中から別の話に変わってしまい、それに気づかず家族から教えられた時はさすがに高座を去った。
芸そのものには厳しかったのです。売れっ子になるまでの極貧の生活、酒、放蕩の限りを尽くした彼の芸風にはどこかひょうひょうとした、われ関せず的な、奔放な気風が漂っていました。
この人が国宝でなくて何でしょうか。「鈴ふり」。ああ、志ん生。
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2013-04-24 00:12
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