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「鉄の女」サッチャー氏が亡くなった。映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を思い出した。
強烈な意志の強さの陰で不安との葛藤、孤独との戦いがなされた人生を描いた映画だった。
おそらく不世出の政治家ではないだろうか。
人格の形成に大きな影響を及ぼしたのが稼業の雑貨商とその店主である父。
彼女を想うと、雑踏から這い上がった「コンピューターつきブルトーザー田中角栄」を思い出す。
共に名門の出ではない。両社に共通する政治家としての強さはこういう生い立ちに宿るのだろうか。
。
伝統国家英国を蘇生させるのは並大抵のことではなっかたであろう。このような人物はどこかに天性の能力をもっている。
田中角栄の脳を「人ごみの中を時速300KMで突っ走るような能力」と称した人がいた。人の名前と顔を覚えることにかけては天才だったという。金を無心されたらその倍を渡す。官僚の奥方の誕生日に贈り物を渡す。
新潟からの陳情者が来れば一緒に朝飯を食う。
そして何よりも何よりも「葬儀への参列」を優先させた角栄。あるとき、政敵の葬儀にかけつけ通夜も告別式にも最後まで参列したそうだ。遺族が角栄から送られた花輪を投げ捨てるとまた新しい花輪を送り直し、遺族は驚いたという。人たらしとでもいうのであろうか。
角栄にかかるとどんな人でもファンになったというからその凄さがわかる。一方でサッチャーは何が人心を動かすかではなく「何が正しいか」の人であった。
共に名門の出ではないが、純粋に培養された高潔な信念の人サッチャーと、人心への毒の効能を知り尽くしていた角栄。晩年は共に陰り逝くものであったが傑出した偉人というものはそういうものかもしれない。
さて最近「人物」と思える人が出てこない。もっともっと石原新太郎に暴れてほしい。
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2013-04-10 22:18
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